MASAMUNE HISTORY
        山村一郎        

1950年4月22日鎌倉で生まれる父は23代山村綱廣。綱廣の由来は室町幕府の御用鍛冶。正宗の名前は日蓮上人が付けたと言われている。稲村ケ崎で砂鉄を採取して刀を創る。昭和58年23代正宗氏はマドリードのバラハス国際空港における飛行機事故で没す。亡き父の跡を継ぎ山村鉄工を守る。彼の作品は門扉やテーブルや椅子数々のロートアイアン作品、藤沢駅南口歩道橋エクステリア、鎌倉の本覚寺や長勝寺(沓巻き等制作)ロートアイアン行灯は赤坂ざくろ銀座、赤坂TBS会館、麻布アメリカ大使館前(書体は芹沢C介氏)雪之下画廊(鎌倉)銀座GURANATA 備後屋(大江戸線若松河田駅前)霧笛楼(フランス料理横浜元町)神戸竹葉亭、紅花ベニハナオブトウキョウ、J-GARDEN門扉等々。鉄以外に銅の装飾品も手掛ける。